疫病を愛で
新型コロナウイルス感染症に罹患されたみなさまやご家族のみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。1日でも早く快方に向かいますこと、お祈り申し上げます。
皆様のご健康を心よりお祈り致しますとともに、一日も早くこの事態が終息し、平穏な生活が取り戻せますよう共に乗り越えていけたらと存じます
この記事を書いている2020年2月下旬は、新型コロナウィルス流行によるパンデミック寸前であり、検査もできず治療法も確立されていないために混乱の渦中のことです。美談にしたいわけでも、また何かを煽る意図があるわけではなく、その時の個人的な希望を綴ったものとして受け止めていただけましたら幸いです
ワークアットホームや時差通勤による措置が取られる中、きのう政府から全国の学校に休校の要請がなされ、突如卒業式を行った学校もでてきた。渋谷の街を歩いても人数は少なく夜の飲食店に並ばずに入れるほどだ。
マスクやアルコール消毒液はずいぶん前に棚から消え、今はトイレットペーパーやティッシュが見当たらない店が多い。あすがどうなるだろう。食料は確保したほうがいいのか。自分の会社はやっていけるのか。急に学校が休みになったこどもはどうすればいいか。
いろんな不安があるはずだ。
あの頃と似ている
棚から物が消えているのを見て、ふと東日本大震災の頃を思い出した。
2011年3月11日。東京の新宿は震度5強。震源地に比べれば大したことはないが、高層ビルは酔う人がでるほど揺れ続け、余震は一晩つづき電車は止まり駅から締め出され、夜が明ければ見たこともない津波で街が飲み込まれていく様子と、原子力発電所の話題でさながら世紀末の様相だった。
15時前に地震が発生し、16時に呑気にコーヒーを買いにコンビニへ行くと、辛ラーメン以外の食料は全部売り切れていた。
制約には発見がある
思い出しても良い思い出というのは少ないが、しかしその中で発見は色々とあった。
電力不足によって都内はなるべく無駄な電気を使うまいと工夫がなされた。埼玉とかは輪番停電と言って3時間ごとに地域で区切って電力が供給された(3時間の根拠は冷蔵庫の保温の限界だったと思う)。
節電で景色が開けた
そんな中、電車も日中は電気が消された。かなり昔は消して走るのが普通だったというが、実際に消えていると手元の本や携帯電話は見辛い。だけど良いことがあった。
景色がすごく綺麗だった。窓から差し込む光。 普段の夜景は綺麗なくせに、昼間は随分と淀んでると思っていた外の景色は、車内の明かりとの相殺でコントラストが弱まってるだけだったようだ。
遠くに見える富士山がキラキラと輝く。昼間の電車の車内が好きだった。
柱の影で窮地を愛に
もうひとつ。
これも似たようなもので、駅の中の電気もLEDに交換されるまでの間、半分以上は消されることになった。
日本の場合は普段が明るいので、半分消されても通行に支障があるわけでもないのだが。やはり暗さは感じていた。みんなが耐えている時期だったから、特に何とも思わなかったが。
ある日曜日の朝、駅のコンコースの柱の影で。本来ならそこも明かりが灯っている場所だったが、節電でほとんど真っ暗となっていた。
そこに男女の二人が抱きしめあっていた。
震災なんて関係なく、街中だってそんな景色が珍しいわけでもない。けれど、この自粛ムード全開だった当時、おそらく明るければそんなことはしないだろうカップルが、節電を糧にして愛を育む。
きっと、切羽詰まって、明日原発が爆発するかもしれないという、そんな茫漠とした不安も全部がエッセンスとなっているように見えた。
視界に入ったのはその場を通りがかった2秒程度だったけど、すごいな、と思った。
あの素晴らしい愛を
この流行病も研究が進み、やがて特効薬が生まれて病自体が消える可能性もある。
しかし、いま、もしここで打ち勝つ何かがあるとすれば。それは不安を煽るものでも、諦念でも、不安に感じすぎたり、逆に動じない心でもないだろう。研究者から非科学的だとお叱りを受けてしまうことは承知だけど。
細菌には浸食する力があるように。
人には人らしい力があると思う。
噂を流したり買い溜めをすることは負の力に思えてならない。
逆に、愛を育むほかにも、物作りや言葉の力が、ほんのちょっとだけ前を向かせてくれるかもしれない。
発見があるのは研究者だけじゃない。あなたがその人生の中で、この不安の海から何を見つけられるか。いまは絶好の機会だ。
もしも事態が収束した後、
何かを手に入れられていたのなら。
それが人を不安に陥れ蝕むウィルスを、
あなたが愛を持って包み込んだ史実だ
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